2018/09/19

『カメラを止めるな』 勝手に応援鑑賞

 


 地元の映画館は地元の人間が守ろうを旗印に、我が家だけのアゲアゲ企画、「勝手に応援鑑賞」の第13弾。今回は遂にこの作品です。

 6月、まだ上映館がたった2館だった時に見て、「こんな面白い映画がヒットしない筈はないだろう」と思いましたが、まさかここまでの社会現象にまでなるとは思いませんでした。でも、「2度目は必ず地元の映画館で」と決めていました。1度目とは全く異なる視点で見る事が出来るのも本作の大きな特徴です。 さぁ、来るぞぉ~、ゾンビが来るぞぉ~。

(#49-163)

2018/09/18

セボシウミタケハゼ

180917seboshi
【セボシウミタケハゼ】 2018/09/16 富戸

 富戸のセボシウミタケハゼは、秋に入ってからオオパンカイメンに産卵する事が多いのですが、それが愈々始まった模様です。Ro'Gunsには、この卵を見つけるのは至難の業で、大きなオス一箇所からいあまり動こうとしない時に、そこに目を凝らして何とか識別できる程度です。

 ただ、この3年ほど、基質となるオオパンカイメンが減りつつあるのが気懸りです。

(この写真の上下さかさまが実際の状況です)

2018/09/17

アカホシカクレエビ / キタマクラ

180917akahoshi2
180917akahoshi3
180917akahoshi4
180917akahoshi1
【アカホシカクレエビ / キタマクラ】 2018/09/17 富戸

 晴れ、海況:並み、水温:24℃、透明度:15m

 このアカホシ・クリーニング・ステーションには大小二匹のエビ(大が恐らくメス)が居ます。アカホシはやや神経質なクリーナーで、無造作に近づくとすぐにクリーニングを止めてしまいます。

 ところが、この時は非常に仕事熱心で、次から次へと客を手早くさばいていました。でも、来る客はどれもキタマクラばかりなのです。30分ほどここに貼り付いていましたが、6~7匹は来たのではなかったかなぁ。今、キタマクラは寄生虫シーズンなのでしょうか。

500ページの夢の束

180917500pages_2
【500ページの夢の束】

 自閉症の少女ウェンディは、今、施設で暮らしています。スタートレックが大好きでその知識では誰にも負けません。ある日、スタートレックのシナリオ・コンテストが開かれる事を知った彼女は、渾身の一作を仕上げるのですが、郵送の締め切り日には間に合いそうにありません。そこで、自分で持参しようと数百キロ離れたロサンゼルスまで内緒で旅立つというお話です。

 まず、「一つの物・行動に執着する」「日々のルーティーンからの変化を嫌う」「他者との円滑なコミュニケーションに障害を生じる場合がある」と云った自閉症の特徴が小さなエピソードの中でさりげなく紹介されます。そこに押し付けがましさは全くなく、ウェンディ役のダコタ・ファニングの表情や動きもすごく自然です。

 その行動が素直で自然であるが故に、様々な困難に遭いながらもロスへロスへと向かう彼女をついつい応援してしまいます。そして、意外な事に気づきました。

 「ウェンディ、がんばれ、がんばれ」

と、スクリーンに向かって声援を送る内に、

 「人を応援すると言う事は、応援される人をと云うより、応援する僕自身を幸せにするんだなぁ」

と思い至ったのです。それが分かると、ますます心を込めてウェンディの背中を後押しする事が出来ました。ウェンディ、がんばれ、がんばれ。

 本作では、スタートレックが重要なモチーフとして用いられ、カーク船長、ミスター・スポック、ドクター・マッコイという名前も出て来るのですが、予備知識は特別必要とはしません。ただ、ミスター・スポックがバルカン星人と地球人のハーフであり、人間特有の「感情」の扱いに苦慮していると言う事は知っておいた方がよいかも知れません。それこそがウェンディの表象であるからです。

 そうそう、あともう一つ。もし、クリンゴン星(スタートレックに登場する異星人帝国)の言葉をあなたが喋れたら、本作を更に2倍・3倍楽しめます。でも、その内容は秘密、秘密。

シネマ ジャック&ベティ にて (#48-163)

2018/09/16

ニセモチノウオ

180916nisemochinouwo
【ニセモチノウオ】 2018/09/16 富戸

うす曇り、海況:穏やか、水温:24℃、透明度:16m

 昨日、ダイビングを終えてシャワーを浴びていた時のこと。地元のベテラン・ガイドさんからこんな依頼を頂きました。

 「僕の一番好きな季節来遊魚・ニセモチノウオを今日見つけたんだけど、ガイド中でコンデジなので何とか上半身が写ってる写真が撮れただけだったんですよ。僕はあの魚の下半身の色合いが好きなのに。そこで、何とか全身の写真をバチッと撮って貰えませんか?」とのこと。

 むぅ~。ニセモチノウオは結構ちょこまか泳ぎ回る上に、直ぐに岩陰に隠れてしまうので中々の難敵です。でも、わざわざ僕にお声掛け下さったのですから、こりゃあ引き受けない訳には行きません。

 そこで、今日の朝一は、伺っていた場所に直行し岩陰に目を凝らしました。でも、どこにも見当たりません。そこで、

 「例年、ニセモチが出るならあそこ」

という場所に赴き、それらしいエリアを探していると、案の定サイケデリックなちょこまかを見つけました。息を凝らしてゆっくり近づき、岩陰に入っても慌てずにそっと見守り、いい場所に来たところで、バンバンバンとストロボ連射です。何とか全身が写っているかな。とりあえず、ミッション・コンプリートです。

 柳田さぁ~ん、これでいいですかぁ~。どうぞご自由にお使い下さ~い。

祝福

180916nicodem
【祝福】

 過酷な現実に立ち向かう14歳の少女オラの日常を追うドキュメンタリーです。

 オラは、ポーランドのワルシャワで父・弟3人で暮らしています。父は口うるさいくせに酒浸りで親らしい事は何もできていません。また、13歳の弟ニコデムは自閉症で誰かの世話を必要としています。母親はどうやら家を出て行ったみたいです。こうして、家族の全てがオラの双肩に掛かって来るのでした。

 まず、こんなにも赤裸々な日常の中によくカメラが入る事ができたものだと感心します。特に、思春期のオラにとっては家族の恥かしい一面を晒すことはとても辛い筈です。しかし、登場人物はカメラなど眼中にないかの様な自然な言葉の遣り取りで、事前にスタッフとかなりの信頼関係を築いていた事を窺わせます。

 この厳しい内容の作品に全く香りの異なる風を吹き込むのが弟ニコデムです。突然訳の分からぬ事を言い始めるようでいて、耳を澄ますと賢者の警句のようにも聞こえ心なごみます。

 ただ、僕には「もう少し説明が欲しいな」と思える点が二つありました。一つは作品そのものの構成です。ナレーションもキャプションも一切ないので、この家族の構成がよく見通せませんでした。母親は家を出て行ったらしいのですが、夫とは別の男と暮らしているらしく、しかも子供までいるようです。その母が突然帰って来るのです。その展開に「あれれ」と戸惑うしかありませんでした。また、父親の背景ももう少し描いて欲しかったです。

 更に無宗教日本人の僕にはよく分からなかった事。オラは弟のニコデムが初聖体式を迎えられたらもう一度家族が一体になれのではと願っているのですが、クリスチャンの人々にとってのこの初聖体式と云うのが僕には分かっていません。映画にもよく出て来る、あのカッパえびせんみたいなのを舌に載せてペロリと食べるあの儀式です(安直な理解でお恥ずかしい)。恐らく、宗教的には重みのある契機となるのでしょうが、そこが分かっていないと彼女の願いの深みも理解できないのではないかなと思えました。

 でも、とはいえ、十代の少女が素手で世の中と取り組まねばならない切なさは観る者の心にもしみました。家族の価値を安直に讃える様な言辞に与したくないのですが、子供はやっぱり自分を理解し愛してくれる人と美味しいご飯を食べる事が大切なのだと改めて思いました。

アルテリオシネマ にて (#48-162)

ハナオコゼ

180916hanaokoze1 180916hanaokoze2
【ハナオコゼ】 2018/09/15 富戸

 肴屋大ちゃんでのお楽しみは、新鮮なお魚の夕ご飯と共に店内の水槽なのです。大ちゃんが定置網の水揚げのついでに採取して来た様々な幼魚や卵が次々と登場します。特に、最近では水槽内の魚のイラストが加わって、ちょっとした水族館の様相を呈して来ました。この日も、お料理を待つ間にイラストと中の魚との答え合わせです。すると、一種だけどうにも見つからない魚が居ました。

 「大ちゃ~ん、ハナオコゼ(写真中矢印)って書いてあるけど、水底にも流れ藻の中にも居ないよぉ~」

 すると、ニンマリした大ちゃんが流れ藻の一部をそって指差しました。えっ? っとその先に目を凝らすと、

 「うぉ~っ、居たぁ~!」

 1センチあるかないかのハナオコゼです。こんなに小さな個体を見たのは初めてです。海の中だったら絶対に見つけられないなぁ。

2018/09/15

1987、ある闘いの真実

1809151987
【1987、ある闘いの真実】

 「デモなんかしたって何になるんだ。もっと賢く効果的な運動を考えた方がいいじゃないか」

 国会議事堂前に集まった人々を見てそう言った人が居るそうです。僕は、そうした高みからの冷笑的な言辞が大嫌いです。確かに、デモをしたからと言って何かが直ぐに変わる訳ではないかも知れません。もっと効果的な運動方法があるのかも知れません。でも、そう思うならばその人が自分の良かれと思う方法で遣ればいいのです。デモに集まった人々を笑う資格などありません。

 デモの中には、いわゆる「動員」によって嫌々遣って来た人も居るでしょうが、今時、それだけでは多くの人が足を運ぶ事はありません。

 「効果があるのかどうかなんてわからないけど、もう黙ってられない」

そうした居ても立ってもいられない思いにつき動かされて人々は集まって来るのではないでしょうか。そして、それは「数」が集まれば必ず「力」になる筈です。

 先の韓国大統領・朴槿恵(パククネ)が政権を追われたのはソウルの街を埋め尽くした人々の力であったのは間違いありません。韓国の人々は居ても立ってもおられず集まり、しかもそれが力になる事を知っていたのです。そして、それを彼らに知らしめたのが1987年の民主化闘争であったのではないでしょうか。

 本作は、ソウルオリンピック前年の1987年、全斗煥(チョン・ドファン)軍事独裁政権下のソウルが舞台です。北朝鮮スパイとの繋がりを疑われた無実のソウル大生が警察による拷問の末に殺されてしまいます。警察はそこで学生の死体を直ぐに焼いて虐殺を隠蔽しようとし、それが難しいとなると、今度は現場の警察官の暴走と決めつけ組織防衛に走るのです。

 官僚の違法な暴走 - バレそうになったら隠蔽・証拠隠滅 - それでも追い詰められたらトカゲのしっぽ切り

 これって、東アジアの島国の最近のあの展開そのままではありませんか。

 韓国内の様子は当時だって日本に伝えられてはいましたが、ここまで厳しい状況だったとは僕は全く知りませんでした。本作では、このソウル大生拷問死の真相を究明しようとする検事、ジャーナリスト、地下運動家の命をも掛けた闘いと、抵抗に目覚め始める人々の姿が描かれます。勿論、映画としての演出、いい者・悪い物のはっきりした色分け、などはあるに違いありませんが、当時の社会状況は恐らくこの通りだったのでしょう。

 警察の追及を逃れて真相を白日の下に晒すことが出来るのかというサスペンス性と、正義は実現されなければならないとする製作者の強い信念が不自然なく融合して、非常に力強い映画になりました。僕は、座席で身動きできなくなってしまいました。そこには、「今、この記録を残しておかねば」という監督の思いが溢れていたからです。

 この映画の舞台は30年前なのですが、本作の制作計画が立ち上がったパククネ政権下では、反政府的な文化人はブラックリストに乗せられ、陰に陽に圧力が掛けられていた為に撮影開始にかなり躊躇があったのだそうです。「それでも!」と撮影を決心したのは、本作終盤に登場する延世大生の記念館で彼の持ち物を目にした時だったのだとか。

 描く人も、描かれる人もギリギリの所で踏ん張っていたのです。

 韓国現代史の映画としては、先だって『タクシー運転手』が公開されたばかりです。それに続く時代の記録が本作です。嫌韓本が売れ、「韓国」と聞いたらすぐにヘイトスピーチを始めたくなる人々が居る国のお隣でこんな映画が作られ続けています。一方、この国では何も聞こえない振りをして内向きな内向きな映画が作られ続けています。

立川シネマシティ にて (#48-161)

クビアカハゼ / コシジロテッポウエビ

180915kubiaka
【クビアカハゼ / コシジロテッポウエビ】2018/09/15 富戸

小雨、海況:やや波あり、水温:24℃、透明度15m

 先週アップしたクビアカハゼの写真に共生エビが写っていないのが何とも悔しかったので、全く自分の意地だけで、時間を掛けて粘ってみました。ところが今日はコシジロテッポウエビはなぜかご機嫌で、せっせせっせと巣穴を出入りして呉れました。これで気は収まりました。

SUKITA

180915sukita
【SUKITA】

 「あっ、このデビッド・ボウイの写真見た事がある」
 「このYMOのレコード・ジャケットもよく覚えてる」
 「おっ、ジム・ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』のカットも有名」

と、以前からよく見知っている写真が実は日本人カメラマンによって撮られていたのだというドキュメンタリー映画です。80歳を超えて今も現役の鋤田正義さんです。不勉強ですが、僕はこの方を本作で初めて知りました。彼は、ミュージシャンを中心に世界中のアーティストの信頼を得て様々なポートレイト写真を撮り続けて来ました。

 布袋寅泰さんは、彼の撮ったマークボランの写真を見て、ギターを買う前に「ギタリストになろう」と決めたのだそうです。レコードからではなく、写真から聞こえて来る音で一人の人生を決定づけたなんて写真家冥利に尽きますよね。

 彼を知る様々な国の人々がその魅力を語ります。でも、僕には(この種の映画ではしばしば抱く思いですが)大きな不満が残りました。「鋤田正義とは何者なのか」を最も多弁に語るのは、彼が撮った作品である筈です。ならば、まずは大きなスクリーンで彼の写真をゆっくり見せて欲しいのです。ところが作品は、背景の一部であったり、ちらりと映る程度に過ぎませんでした。

 「これだったら、本筋の話は聞かずに、周りの人々の語るサイド・ストーリーだけの物語になってしまうよ」

と少しイライラして来ました。彼を知る人にとってはそれは言わずもがなの事なのかも知れませんが、それだとえらく間口の狭い映画になってしまいます。

 歌手のドキュメンタリーだったらその歌声を、画家ならばその絵を、ダンサーだったらその踊る姿を、ランナーだったらそのトラック上での姿を、そしてカメラマンならばその写真をゆっくりじっくり見せて下さい。そこから言葉が滲み出て来た時に初めて語りが始まるのではないでしょうか。

アミューあつぎ映画.com シネマ にて (#48-160)

«シマスズメダイ/ イソスズメダイ