2017/09/24

ナンヨウブダイ

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【ナンヨウブダイ】 2017/09/16  富戸

 週末の度に海が荒れると言う「秋の富戸あるある」に陥り、「このままだったらぐれてやるぅ~」と拗ねるオッサン。

 紛らわしい縦じま模様のブダイ類幼魚の中にあって、「これは間違いなかろう」と一息つけるナンヨウブダイです。はるばる南洋から来てくれたんだねぇ。

でも、今の富戸は「難洋ブダイ」です。

2017/09/23

三里塚のイカロス

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【三里塚のイカロス】

 観たい映画は幾つもあるのですが、この映画は観なくてはならないと思っていました。上映館数が非常に少なく、これからも広がりそうもないので程なくして上映が終了するだろう、と急かされる様な思いで映画館に足を運びました。

 僕の学生時代には、60年は勿論、70年安保・全共闘運動も終わっており、政治的には祭りの後の様な白けた雰囲気が世代を満たしていました。「国家権力と対峙する運動」と唯一呼べそうなのが成田闘争でした。ただ、僕が大学に入った70年代中頃には既に勝負(と云う言い方が許されるのならば)は決している様に見えました。問答無用で土地を収奪し、また札束で横っ面はたいて農地を買い上げて行く国の遣り方は明らかに不当だと思いましたが、積み上げられて行く既成事実の前には如何ともし難いと感じていました。だから、立ち退きを拒否する農民に力を貸そうと全国から集まって来た活動家の人たちは「負け時を逸してしまった戦い」と対峙している様に見えたのでした。もちろん、だからと云って当時の僕は何をするでもなく、それを傍観していただけでした。

 本作は、当時の活動家の人たちが、あの時代をそしてそれ以降を語るドキュメンタリー作品です。

 鑑賞前には、嘗ての活動家の人たちは、「あの頃の運動の正当性は信じているものの、苦い思いで当時を振り返るのだろう」と思っていました。ところが、様々な人の話を伺う内に、どうやらそうではないらしいと云う事が分かって来ました。

 例えば、成田空港の開港直前のタイミングで活動家の人々が管制塔になだれ込み管制施設を破壊すると云う事件がありました。これは僕もよく覚えています。でも、「こんな事をしても開港が少々遅れる事はあっても、開港自身が覆る事は絶対にないだろう。却って、警備がより厳しくなり、一般の国民の支持も離れて行くだけで、長い目で見たら逆効果じゃないのかな」と当時は感じました。今でもそう思います。

 ところが、実際に管制塔占拠に参加した方の話は熱を帯び、昔の楽しい思い出を語るようにも聞こえたのでした。そして、この占拠を「勝利であった」と結論付けておられるのには少し驚きました。

 また、別の方からは、「成田闘争の勝利に向けて」と云う言葉が聞かれました。

 そこで漸く分かりました。この人達にとっては成田は終わってはいないのです。移転を拒否している農民の方が今もまだおられるのですから、そりゃそうなのかも知れません。しかし、そんな人達の事は最早気にも止めず、成田からは楽しい海外旅行を夢見る人達が今日も旅立って行きます。この先に描かれる「勝利」って一体何なのでしょう。無責任な旅行者の一人である僕も想像出来ません。

 失礼を承知で云うならば、この人達はそうした「勝利」を本当に信じているのでしょうか。或いはそれを信じなければ自分を保てないのでしょうか。そこまでも突っ込ん欲しかったですが、いや、それを考える事が一番大きなテーマなのかも知れません。 観てよかった映画でした。

イメージフォーラム にて (#49-175)

2017/09/22

KING OF PRISM PRIDE the HERO

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【KING OF PRISM  PRIDE the HERO 】

 え~、無料チケットが手に入ったから話のタネにと行った訳ではありません。この作品が観たくて映画館に足を運び、お金を払って観たのです。

この前作、『KING OF PRISM by Pretty Rhythm』を観て僕は腰を抜かしてしまいました。正直言って、映画作品としては大人が本気で論じるに値しない下らない内容でした。アイドル・ヒーローとして観客を魅了できる日を夢見て、男の子たちが切磋琢磨してと言うお話です。一人一人の内面を描くつもりなんて全くなく、ただただイケメンの登場人物たちが薄っぺらに舞い踊るだけです。

 しかし、この映画特有の「応援上映」と言うスタイルに僕はすっかり遣られてしまったのです。この作品では、客席からスクリーンに向かって声を掛けたり、歌に合わせてライトを打ち振るなどと云う鑑賞スタイルが認められています。と云うか推奨されています。客席を見回すと、揃いのライトを持った女の子たちが準備万端です。そして上映が始まると、作中の絶妙なところで突っ込みの声掛けをしたり、音楽シーンでは揃いの動きで、そして、ライトの色の変え方までみんなで同調させての応援なのです。

 「こ、こんな世界があったのかぁ」

 と、驚くと共に、年をとってからキャバレー狂いに陥ったオッサンの様に、僕はすっかり「キンプリ」(本シリーズの愛称)好きになってしまいました。

 そして、今回はいよいよ新作の登場です。僕の目的は映画自身ではなく客席からの応援を観ることなので、一番後ろの席に陣取ります。

 いやぁ、やっぱり面白いわぁ。僕自身がライトを振ったり、スクリーンに声掛けしようとは思いませんが、こんな映画の世界もあると云うのを知る事はものすごく刺激的です。特に、今回は映画自身もアナーキーなまでの無茶苦茶さで、「ばかばかし過ぎて面白い」という領域にまで愈々迫って来ました。

 な、なんだか次の作品では遂にライトを買い込んで応援鑑賞に参加しそうな予感。いつの日か、くたびれたオッサンが上映前の客席でライトを点けたり消したりしながらニヤニヤしているのを見つけても、見ないふりをしてくださいね。  

アミューあつぎ映画.comシネマ にて(#49-174)

カノコベラ

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【カノコベラ】 2017/09/16  富戸

 以前は、ムナテンベラの幼魚との識別に苦労した事もあったのですが、出現する環境がかなり異なる事に気づいてからは落ち着いて見分けられるようになりました。カノコは水深2mほどまでのとにかく浅い岩場でしか見られません。ま、それはいいのですが、うねりの日にダイバーをからかう様にヘラヘラされると、「可愛くなぁ~い」とブチ切れてしまうのでした。

2017/09/21

サーミの血

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【サーミの血】

 ポスターの少女の力強い眼差しに魅入られて、「こりゃ、観るしかないな」と思った作品でした。

 スウェーデンと言えば高福祉国家として知られ、リベラルな考え方が広く受容されている国だろうと僕は勝手に思い込んでいました。しかし、本当はどうなのかを実感を持って捉えられるデータを僕は持っていませんし、ましてや昔はどうだったのかなんて知る由もありません。

 本作は、1930年代を時代背景に、スウェーデン北部でトナカイと共に遊牧民として暮らうし、独自の言語も有する少数民族サーミの少女が、スウェーデン人からのあからさまな差別と苦闘する姿を描いた物語です。

 少女が通う寄宿学校では、サーミ語の使用が禁じられ、サーミは臭いと露骨に見下ろされ、いくら成績がよくても進学の道は完全に閉ざされていたのでした。それは、「サーミは文明を理解できない劣等人種であることが研究によって証明されているから」と言う根拠によるものでした。

 スウェーデン、とりわけ本作にも登場するウプサラは、博物学の始祖とされるカール・フォン・リンネの拠点となった土地・大学です。

 ありがちな少数民族物語と本作が異なるのは、サーミの人間が生き方の自由を得ようとしたら、結局はサーミを捨ててスウェーデン社会に同化していくしかないという道筋を丁寧に描いている点です。もしかしたら、サーミ族自身が「サーミは劣等民族である」と思っているかも知れないとすら感じられました。非常に重い現実です。

 北欧らしい透明感のある静かな映像ながら、お腹にズンッと応える作品でした。また、ハリウッド的美少女にはない力強い意志を秘めた主演のレーネ=セシリア・スパルロクの視線はやはり際立っていました。  

武蔵野館 にて (#48-174)

八重子のハミング

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【八重子のハミング】

 物忘れの速度がどんどん加速する自分の記録の為に、観た映画は全て記録に残しておくつもりですが、本作への具体的な感想は書きません。と、云うのは・・・。

 本作は、若年性アルツハイマーを患った妻とそれを介護する夫の実話に基づく物語です。アルツハイマーを扱った映画は海外でも『パーソナルソング』『アリスのままで』『わすれな草』など、ドラマからドキュメンタリーまで様々に制作されています。それらに対して、描かれている現実と共に、その映画自体に対する感想を僕は比較的平静に語る事ができます。場合によっては批判的な言辞も出て来ます。
 

 ところが、本作の場合。これはこの種の日本映画に共通した事かも知れませんが、自分の思った事を素直に書くことに大変な心理的圧迫を感じてしまうのです。何を言っても、

  「介護の大変さも知らないくせに」
って叱られそうに感じてしまうのです。念の為に申し上げておきますが、本作がそんな傲慢な事を作中で語っている訳ではありません。しかし、作品の構え、物語の語り口から僕が勝手にそんな風に怖気づいてしまうのです。本作は特にそれが強かったです。

 作品で語られるテーマの重さよりも、口を塞がれた様なそんな息苦しさの方が僕にはずっと辛かったです。  

アミュあつぎ映画.com シネマ にて 

奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール

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【奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール】
 
 「はい、おふざけ映画です。別に名作映画ではありませんよ」とはじめからケツをまくった様なこのタイトルは秀逸だと思います。漫画原作なのだそうですが、僕は全く知りませんでした。奥田民生と言ういい位置にいる人物を選んだのが上手いなぁ。『モテキ』『バクマン』『Scoop』と、エンタテインメント性をしっかり意識して、料金分をキッチリ楽しませてくれる大根仁監督と云う事からも期待できました。
 
 奥田民生の様な自然なライフスタイルに憧れる雑誌編集者(妻夫木聡)と、関わる男すべてを振り回し骨抜きにして行く女性(水原希子)とのあれやこれやの物語です。
 
 脳みそから前頭葉を外して座席に腰かけましょう。そうすると・・ うん、なかなか楽しめました。女の気まぐれと甘えに右往左往させられる妻夫木君の遣りすぎギリギリの振れ幅が楽しかったです。登場人物の行動にリアリティなど要りません。ただ、男のスケベ心のリアリティさえ描けていればそれでいいのです。
 
 全編を通じて、ブチューッと云うキス・シーンが何度も出て来るのですが、これがよかった~。水原希子さんのスケベオーラ全開です。別にスケベ・シーンなどなくてもこれだけで、ご飯三杯でごちそうさまでした。
 
 一緒に観た我が家の妻は、「ダメダメ男の映画はもう沢山」とあまり評判はよくないようでしたが、うん、
 
 男と女の間には~ 深くて暗い川がある~
 
のでしょうがないよね。 

TOHOシネマズ ららぽーと横浜 にて (#47-173)

アオハナテンジクダイ

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【アオハナテンジクダイ】 2017/09/16  富戸

 アオスジテンジクダイとコンゴウテンジクダイの識別に自信を失いつつ今、同定に冷や汗を流さなくて良いのはお前だけだよ。

 いや、もしかして、こいつも岩陰に入ったらとんでもない姿に変身するのかも・・  ああ、もう誰も信用できない~。

2017/09/20

アオスジテンジクダイ

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【アオスジテンジクダイ】 2017/09/16  富戸

 我が家の妻が、水深10mの砂地の漁礁付近で中層を興奮気味に指さしています。その先に居たのが’(A)の個体でした。鼻先の青い二本線、尾柄部の黒丸からコンゴウテンジクダイと思われました。

 「ああ、今年はあちこちでよく見るね」

とOKサインを出すと、彼女はまだしつこく指差し続けます。何だろうとその個体を追っていると、やがてこの個体は水底の土嚢の奥に入って行きました。すると数秒の内に尾柄部の黒斑紋が変化して黒いバンド状になりました。それが(B)の写真です。

 「え~っ! これはアオスジテンジクダイではないか!」

そして、この個体は間もなくまた中層に泳ぎ出しました。すると数秒で再び(A)の状態です。

 こ、これまでコンゴウと思って来た個体にもアオスジが混じっていたと言う事でしょうか。くぁ~、混乱して来たぁ~。こりゃあイチから見直しです。

2017/09/19

泥の河

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【泥の河】

台風で海に潜れぬ週末の映画レビュー大放出 第6弾

 恐らく、僕のオールタイム・ベストテンに入るであろう大好きな作品です。公開時に何度か観たのですが、それ以降接する機会がなく、35年ぶりのスクリーンでの邂逅です。

 昭和31年の大阪。まだ戦争の傷跡が体にも心にも残っていた時代に、貧しさの中で生きて行く大人たち、そして、そんな世の中を観て育つ子供たちを描いた作品です。

 この作品に登場する子供らよりは少し年下ではありますが、昭和30年代を大阪で過ごした僕の記憶に残る光景が次々と現れて来ます。僕が小学校に上がる頃には、白い服を着てアコーディオンを弾く傷痍軍人の人たちはまだ繁華街に立っており、安治川や木津川の辺りにはこの作品で描かれる様な船上生活の人々を普通に見る事が出来ました。日本の戦後は決してまだ終わってはいなかったのです。そんな当時の大阪の匂いがスクリーンから立ち昇って来るように感じられました。

 この映画を僕は冷静に語る事が出来ないので、以下は本作をご覧になった人だけに向けた独り言です。

 まず、影を背負いながらそれを見せない田村高廣さんの穏やかな演技が堪りません。シベリア抑留から帰って来て、決して人に自慢できるような生き方ではなかったろうに、今は川べりでうどん屋を営み、それを自分にも納得させようとする思いが、この年になって観ると昔以上に心に哀しく染みて来ます。

 そんなお父さんと、何か深い訳があって逃げて来たお母さん役の藤田弓子さんも哀しい明るさが際立っています。また、藤田さんは東京生まれの筈なのに、全く違和感のない大阪弁でした。かなりの訓練を積まれたのだろうと思います。

 更に、二人の一人息子である信雄も愛らしい。そう、昭和30年代の子供はこんな風に汚かったよな。

 近々中古のトラックが買える事を喜んで話す芦屋雁之助の荷車の男の呆気ないまでの哀れな人生。

 また、舟の娘である銀子ちゃんが何より哀切です。まだ子供でいたい筈なのに、大人の暮らしに直面せざるを得ない痛ましさ。折角もらったワンピースを綺麗にたたんで、丁寧にお礼を言って返そうとしたいじらしさ。

 そして、キッチャンです。信雄が船に遣って来た時の「遊びに来たんか? 遊びにきたんやろ?」と言った時の嬉しそうな顔。そして、信雄を喜ばせようと沢蟹に火をつける子供らしい残酷さ。それが一層哀しく映ります。

 どれもこれもが名場面です。

 ラストシーンでは、「キッチャンと銀子ちゃんには、道を踏み外さないように育って、ささやかでも幸せな暮らしを見つけて欲しい」と祈らずにおられませんでした。

 学生当時、同じくこの映画に心を動かされた友人と、互いに遠くから呼びかける時には、

  「キッチャ~ン、キッチャ~ン」

と叫んでいた事まで思い出しました。

 キッチャンも銀子ちゃんも今では70歳近くになっている筈です。二人は当時を、そして、それ以降の日本をどの様に今みつめているのでしょうか。信雄を思い出してくれた日はあったでしょうか。 

TOHOララポート横浜にて (#47-172)

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