2018/06/25

ハッピーエンド

180625happyend
【ハッピーエンド】

 商都大阪に生まれ育ったせいか、「なんであれ、商売には愛想が重要」と僕は考えています。就職して関東に出て来た時に僕が驚いたのは、

 「ラーメン屋のオヤジがなんでそんなに偉そうにしてるんだ?」

と云う事でした。少し名の知れたお店だと、オヤジが「食わしてやってる」風でいつも偉ぶっています。店の若い衆を大声で怒鳴りつけ、ゲンコを食らわしているのも見た事があります。その店員にどんなしくじりがあったにせよ、誰かが殴られるのを見ながら食事をするなんてそのお店は「食事をする事の意味」が何も分かっていないのでしょう。そのラーメンの味がどうあれ、僕はそんなお店には二度と行きません。でも、そんなお店を「あそこのオヤジは頑固者だから」なんて持ち上げる人も居るのです。

 同じような事が映画にも言えます。愛想のない映画と云うのがあるのです。「観る人に分かって貰う」事が「観客に媚びた堕落」であるとでも言う様に、自分の思いばかりをぶつけてさっぱり訳が分からない作品の事です。ただ、浅薄なラーメン屋と違うのは、映画では「説明しない」「語り過ぎない」事こそが監督が入念に考えた最大のサービスである場合がある事です。

 さて、本作は全く愛想のない映画でした。大きな建設会社を営み、裕福な暮らしを営みながら家族関係がバラバラになった一家に親戚の少女が預けられて遣って来ます。そうして、更に露わになる冷えた家族の姿と云う物語です。

 まるで剃刀で人間の臓腑を切り取って行く様に、静かにしかし残酷に人間関係の虚無性を抉り出して行きます。ただ、静かすぎて訳が分からなくなることがしばしばありました。

 「えっ? この冒頭の場面はどこに繋がるの?」
 「あれっ? この人は誰とどういう関係の人?」
 「この人、なんで殴られてるの?」
 「無言の場面で、このジイサンは通行人に何を言ってるの?」

「ああ、不親切、無愛想」と席を立ってもよいほどの投げ遣りに見えるのですが、でも何だかどこかで非常に気になるのです。それを認めるのは少し悔しいのですが、観客のそうした苛立ちをもスパイスとして計算した上での豪華フルコース・ディナーとも思えたのです。

 「あんな女に引っ掛かっちゃダメだ」

と分かっているのに、その思わせぶりな流し目についつい惹かれてしまう中年男の様な思いです。こりゃあ、暫く心の倉庫に寝かせておいて熟成を待つ映画でしょう。

アミュあつぎ映画.com シネマ にて (#31-107)

カワハギの産卵

180625kawahagi
【カワハギの産卵】 2018/06/24 富戸

 「富戸の初夏はカワハギの産卵から始まる」と感じており、早い年にはGWの頃に見られる事もあるのですが、今年は6月に入ってもいい場面に遭遇しませんでした。彼らの動きから産卵が進んでいる事は間違いなく、ペアの探し方や時刻の目安もある程度ついているのですが、どうもいけません。

 と思っていたら、この日、遂に「これは・・」と思えるペアを見つけました。しかし、水深23mと産卵ウォッチングにはやや深めの水深だったので、あまり時間も掛けられません。水底を口で整地するメスの体側にチュッチュするオスを見ながら、

 「残り時間も少ないから、そろそろお願いしますぅ~」

と思っていたら、メスがやおら頭部を持ち上げて、腹部を砂底に押し付ける様にゆっくり前進。

 「やったぁ~、産卵~」

と思ったのものの、オスの動きに納得がいきません。カワハギの放精・放卵は雌雄が互いにside by side で並んでお腹を水底に擦り付けると云うのが普通です。しかし、この時のオスは、写真の様にメスから少し離れた後方に居ただけなのです。

 「えっ、本当に放精があったの?」

と訝しく思うのですが、メスは何事もなかった様に、産卵場所をヒレで煽いで卵の隠蔽作業を始めています。この卵は本当に受精されたのでしょうか。オスの精子ブッ飛ばし距離は予想以上に長いのでしょうか。

マフェ

180625mafet
【マフェ】

 セネガル戦、終了。

 W杯、今回の「敵を食らう」シリーズは、セネガル料理「マフェ」でした。トマトとピーナツバターを用いた煮物と言う感じです。

 我が家は二人とも「正解」を知らないので、「まあまあ、美味しいんじゃない?」という所。その詰めの甘さが引き分けの要因となったのでしょうか。日本代表が勝ち越せなかったのは我が家のせいです。その責任を痛感しています。

2018/06/24

ナノハナスズメダイ

180624nanohana
【ナノハナスズメダイ】 2018/06/24 富戸

曇り後晴れ、海況:穏やか、水温:20~21℃、透明度:17m

 コガネスズメダイ、ヒマワリスズメダイ、キホシスズメダイにそれぞれ似ていますが、腹ビレ前部が白く、胸鰭基底部に黒斑紋があり、幼魚は黄色が鮮やかである事でそれらとは識別されるスズメダイはこれまでキビレスズメダイ(仮称)と一部のダイバーの間で呼ばれ、恐らく新種なのではないかと言われてきました。

 富戸では季節来遊魚ですが、ほぼ毎年数個体は観察できます。しかし、富戸で話題になる事はま~~~~~ったくありませんでした。

 この種が遂に記載され、「ナノハナスズメダイ」(Chromis Katoi) の標準和名が提唱されたとのこと。はぁ、これからは心置きなく名前を呼べます。

 そこで、このニュースを聞いた翌日の今日、「伊豆で最も早くナノハナスズメダイを見つけて遣ろう」と我が家の二人で真剣に捜索しました。今年は、アマミスズメを除くと南方系のスズメダイはまだ見掛けていません。しかし、さすが Hawk Eyeの女と呼ばれる我が家の妻はしっかり見つけて来ました。全長1.5cm(ほぼ実測)。これまで見た中で最小サイズです。さあ、みんなで呼びましょう、

 「ナノハナスズメ ちゃ~~ん!」

 これまでは、本種の話をしてもどなたにも興味を持って貰えませんでしたが、新種となると注目を集めるかしら?

デッドプール 2

180624deadpool2
【デッドプール 2】

 マーベルやDCコミックスのヒーローものに対して僕はそれほど魅力を感じず、かなり扱いが冷たいです。スーパーマンやバットマンが自分のアイデンティティに悩んだりする姿にはイライラするし、様々なスーパーヒーローが力を合わせてなんて言うのは安易な「一山いくら」商法に見えて仕方ありません。

 そんな中でも、「面白かった」と近年思えたのが『ワンダーウーマン』と『デッドプール』でした。特にデッドプールは、いわゆる正義の味方ではあるのですが、品性下劣だし、卑怯な手でも何でも使いますというぶっ飛び具合が非常に気持ちよかったのでした。いわば、ヒーローの鬼っ子で、それ故、ヒーロー大集合と云える「アヴェンジャーズ」や「X-メン」の中にデッドプールは入れて貰っていません。だからこそ僕は好きなのです。前作は、主演のライアン・レイノルズの長年の執念が実っての映画化と言われていましたが、その世界的大成功により、今回は大幅のパワー・アップです。

 今回は、未来から遣って来た殺し屋との戦いという『ターミネーター』の様な設定ですが、展開は相変わらずの下ネタ・オンパレードです。子供も見るヒーロー映画の筈なのに、R15指定と云うのも納得の品の無さです。しかし、今回は予算も増大したのでしょう、アクション場面のスピード感は素晴らしく痛快です。

 ただ気になるのは、今作では前回にも増してパロディ的要素が満載な事です。それらは、

 「あの映画を前もって観てなかったらそれは分からないだろう」
 「そりゃあ、ライアン・レイノルズの個人史が分かっていないと意味が分からないだろう」
 「それは、マーベル映画を知っていないと分からないだろう」

というネタが連発なのです。それらが分かる人にとっては堪えられないツボになるのでしょうが、下手をすると内々だけの楽屋落ちになり兼ねません。そして、僕はそうした「知ってる人の為だけ」と云う内向きの指向が好きではありません。スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』に全然共感できなかったのはそれ故です。

 本作は、世界的大ヒットであると聞きますので、今後もシリーズ化されていくでしょう。そうであるならば、単純にアクションやCGを大仕掛けにするのではなく、しみったれて拗ねたヒーロー感を大切にして誰もが笑える下ネタを吐き続けて欲しいと思うのです。

追伸: 楽屋受けを批判しているのにこんな事言うのも何ですが。エンドロールが出てから最後の最後に究極の楽屋落ちが登場します。ライアン・レイノルズの俳優としての経歴が分かっていないと面白くないのですが、これは素晴らしかった! (って、僕は結局本作の罠にはまっているのかな ? )

イオンシネマ 海老名 にて (#30-107)

オハグロベラ

180624ohaguro
【オハグロベラ】 2018/06/23 富戸

 午後遅くに、浅場でオハグロベラの産卵をゆっくり見て一日のダイビングを終える時季になると、

 「あ~、夏が近づいているんだなぁ」

を実感できます。季節は確実に回っています。

2018/06/23

アオリイカ

180623aoriika
【アオリイカ】 2018/06/23 富戸

 雨、べた凪、水温:20℃、透明度:15m

 アオリイカの産卵床設置以来、卵はちらほらと見られていたのですが、当のアオリイカの姿をこれまで見掛ける事がありませんでした。が、今日は3~4ペアが入れ代わり立ち代わりバンバン産卵に降りて来て来ました。

 毎年お馴染みの光景なのですが、何度見てもやっぱりワクワクするなぁ~。

2018/06/22

バケツと僕!

180622baketsu
【バケツと僕!】

 本作主役の徳永ゆうきさんは演歌歌手でありながら、山田洋二監督の『家族はつらいよ』シリーズのレギュラー・メンバーにも抜擢され、俳優としての活躍の場も広げています。どこか抜けている様でありながら絶妙の間でのせりふ回しは確かに独特の個性を感じさせます。

 その徳永さんが演じる盗癖のある知的障碍者・バケツと彼の世話をする事になった新入りの養護施設職員・神島のお話です。

 本作の監督は、助監督を長年務められて来て60歳を過ぎて漸く監督デビューの䂖田和彦さんです。そんな苦労人の方は応援したいじゃないですか。更に、原作が、障碍者によるプロレス団体『ドッグレッグ』(ドキュメンタリー映画にもなりました)を主宰する北島行徳さんとなるとますます応援したくなります。

 ・・・でも、・・・う~ん・・・
 低予算の(?)日本映画だと、やっぱりこうなってしまうのかなぁと云う思いがしました。

 障碍者の問題は勿論、DVとか二グレクトとかホームレスなど社会的な問題が次々出て来るのですが、何だか「現代社会パンフレット」の中に一つ一つ取り上げただけの様に見え、それによって浮かび上がる人間性と云ったものが全然感じられませんでした。更に、主役であるバケツが一体どういう人間なのかが見えて来ません。知的障害があるとしても、彼には彼なりに見えている世界がある筈で、それを何とか見よう、見せようとするのが映画の仕事ではないでしょうか。

 そして最も気になったのは、終盤で神島が

 「俺があいつを守ってるつもりだったけど、本当は俺があいつに守られていたんだ」

と云う本作の最も大きなテーマを台詞で語ってしまう所でした。それは言わずに、観る者に感じさせなきゃだめでしょう~っ。

 と云う事で、何とか応援したかったのですが、ちょっと俯いてしまった一作でした。どうか、スタッフの皆さんにもう一度チャンスを!

アミューあつぎ映画.comシネマ にて (#30-106)

30年後の同窓会

18062230nengo
【30年後の同窓会】

 このタイトルとポスターから、「老境に差し掛かった男3人が数十年ぶりに出合って、若い頃の日々をほろ苦く振り返る」と云った懐旧物語かと思っていたのですが、全く違っていました。こんな三文コメディーの様な邦題を付けた配給会社の担当は罪が深いです。この映画を本来見るべき人々がこの安っぽいタイトルで沢山遠ざかっていったでしょう。

 1970年代、ベトナムで「自分は一体何の為に戦っているのか?」を問いながらもその狂乱の中で自分を見失ってしまった男が、30年後には、息子をイラク戦争に見送る父親になります。そして、再び「アメリカは何の為に戦っているんだ?」を問い直す物語です。

 嘗ての戦友3人の間で交わされる会話は軽妙ですが、その視線はあくまで低く、問い掛ける物は重いのです。

いつか日本が戦争を始めた時(それは決して仮定の話で無くなって来た気がします)、戦争の熱気の中で徴兵制が敷かれたとして、そして僕の様なジイサンにまでも赤紙が来て外国の戦地に送られたとしましょう。僕は根性がないので上官に逆らう勇気もないでしょうし、特別攻撃の志願兵の募集があった時も自分だけが拒否する度胸がないので一歩前に進み出るでしょう。そして、簡単に戦死してしまうでしょう。その時の僕のたった一つの望みと云えば、

 「絶対に靖国神社などには祀ってくれるな」

と云う事です。ブルブル震えながら死んで行く僕は日本の方を向いて中指を突き立てているでしょう。そのまま野ざらしの骸骨で結構です。それが意気地なしの唯一の意思表示です。

 一方その頃、若い子供が自分に居て彼(或いは彼女)が応召したとしたら、

 「絶対に生きて帰って来い。どんな勇ましい言葉にも騙されるな。非国民であれ!」

と言うでしょう。自分には決してできそうにもないのにです。戦争が始まってしまえば、そんな思いなど戦争の熱気で吹き飛ばされてしまうに違いないのにです。

 以上が、自分の事しか考えていない小心者の偽らざる思いです。この日、スクリーンと向かい合いながらそんな事をずっと考えていました。そんな思いを喚起させる力のある映画でした。決して三文コメディーではありません。

TOHOシネマズ海老名 にて (#29-106)

ラジオ・コバニ

180622radio
【ラジオ・コバニ】

 コバニは、トルコ国境に近いシリア北部にあるクルド人の街です。そして、この街もISとの戦闘によって破壊され尽くし、2015年に漸くISを掃討したのでした。本作は、それからラジオ局を開設し『おはようコバニ』という番組を始めた20歳の女性のドキュメンタリーです。

 状況は全く異なるのですが自分の勝手な想像で、『グッドモーニング・ベトナム』の様な作品かと想像していました。つまり、目の前の現実はクソみたいだけれど、それを明るい声で切り開こうとする物語なのかと思っていたのです。その想像は決して誤りではないのかも知れませんが、実際はもっともっと厳しく辛い作品でした。

 空気の澄んだ青空の下、遠景で見るコバニの街は石造りの建物が並ぶ綺麗な街並みなのですが、近づいて見ると殆どの家屋が爆撃によって瓦礫と化しているのです。その光景が延々と続きます。

 その瓦礫を片付けようとすると、建物に押しつぶされた遺体が次々と出て来ます。上半身が千切れていたり、首がなかったり、或いは腐敗が進んでいたり。年齢や性別は勿論、それが人間であったのかどうかすら判然としない遺体も多いのです。カメラはそれを躊躇なく撮り続けます。そして、傍でこの様子を見ていた子供は鼻をつまんで立ち去ります。恐らく、一体には酷い死臭が漂っているのでしょう。

 こんな現実の中では、感情の回線を切って「生きた死体」となるしか生きて行く手段がないのではないかと思えるほどでした。

 簡素なラジオ・スタジオからは、その日のコバニのニュースや、難民となっている人々のインタビュー、あるいは地元ミュージシャンのスタジオ・ライブなどが流されます。恐らく彼女はジャーナリストを志望していた訳ではないのでしょうが、「伝える事の充実感」をいつしか掴み始めている様に見えました。

 世界中の人々がテレビの中のサッカーに熱狂しているこの瞬間にも、戦闘に怯え、粗末なマイクに向かって思いをぶつけている人が居るのかと思うと,、チンケな言い方ですが遣り切れない思いです。

  ポレポレ東中野 にて (#29-105)

«ワンダー